興福寺 東金堂
KOHFUKUJI
設計者:不詳
住所:奈良県奈良市登大路町48
竣工:1415年
用途:寺院
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更新2007/8/22
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法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。五重塔の北にある建物。神亀3年(726)に聖武天皇が叔母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈り、薬師を本尊として創建された。その4年後の天平2年(730)に、南に五重塔が建立され、東金堂と五重塔は「東院仏殿院」と呼ばれ、その北と西には回廊が、東と南には築地塀があり、西回廊に二門を開いていた。現在回廊の跡としては東金堂北東に北廊の礎石が若干残るだけである。東金堂は五重塔とともにたびたび火災に遭い、現在の建物は室町時代の応永22年(1415)に建てられたもので、6代目にあたる。昭和12年(1937)の解体修理工事の際、基壇及び礎石の調査が行われ、建物の規模、壇の高さとも創建当時と変わらないことが判明した。なお、この調査で本尊の台座の中から白鳳時代の仏頭(国宝)が発見され、話題を呼んだ。この仏頭は、治承の兵火の後の文治3年(1187)に飛鳥の山田寺から移されたものとされ、現在は国宝館に安置されている。建物は、桁行7間(23.48メートル)、梁間4間(12.96メートル)の一重・寄棟造り、本瓦葺きで、前面一間通りだけ吹き放しになっている。この類例は唐招提寺金堂にもみられるが、吹き放しの庇の妻部分が壁で閉ざされているなど細部には若干違った点も認められる。また、木割が太く、天平の古様を伝えており、復古式建築の典型的なものといえる。
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